こんばんは。皆様、コメント色々とありがとうございます。
さて、今日はよく耳にするかもしれない「恥ずかしいのもお仕置きのうち」について。前にもちょっと話題にしたりはしてたのだけど、また考えてみます。
私が“お仕置きのうち”に含める“恥ずかしさ”は、自分がやってしまった過ちについて、悪い子だったこと、お仕置きを受けていること自体、またそれを他人に見られたり聞かれたりすることかな。他にももっとあると思うんだけど、とりあえずイメージ。私みたいに泣いてる自分がキライだったりね。あと単純だけど、泣いてるところを見られる、泣き声を聞かれるといったこともこのグループ。
誰が見てようがお仕置き自体には関係ないじゃない? そこでお仕置きを受けるのは自分が悪い子だったからで、目の先にいる誰かさんのせいじゃないのだから。
でも、上のような恥ずかしさは、往々にして感じるものよね。わたしは、それを理解してるし、それを子どもにも伝えてもいいと思うの。効果的なお仕置きのためにそういった状況を利用するのも問題ないと思う。
もう一つの“恥ずかしさ”は、おちんちんやお尻などを見られたりすることに対して。簡単にいうと裸を見られることへの恥ずかしさ。お仕置きの時にとるポーズはこっちじゃなくてさっきの方かな。
こちらについては、以前から、数回ふれているはずだけど、、、基本的に、こちらの“裸を見られる恥ずかしさ”は、私としては、お仕置きに含まないというスタンス。子どもなんだし、この恥ずかしさへの理解は子どもには示せない(示さない)。あくまでも、“子どもは恥ずかしがるものじゃない”という考えで接するの。
10歳ぐらいから羞恥心というものが芽生え出すってことは分かってるんだけど、それは私の頭の中だけ。
お尻叩きの時にお尻を剥きだしにするのは当たり前だし、それを他人に見られたところで関係ないってこと。
かわいそうな言い方をすれば、子どもが恥ずかしがることを認めないし、それをわからせないといけないのね。たとえば、親戚や友達が中3マデなら裸は当たり前ってコンセンサスをもっていれば、そのもとにある子どもの生活はそのようになるでしょ。
あーわたし鬼みたい・・・。鬼じゃないのよ(笑)
今回いいたかったのは、私が想定する「恥ずかしいのもお仕置きのうち」は、基本的に、前者の恥ずかしさを指すってことで、今日はここまで。
こんばんは
全裸で過ごす機会を数多くつくることで、子供はそれが当たり前であることを認識してゆくわけですね。弟がお姉ちゃんに成長記録として全裸の写真を定期的に撮影してもらうとか.。お姉ちゃんの友達なんかお呼ばれされてる前で裸になるのを恥ずかしがってしまうと、お姉ちゃんにお尻を叩かれてちゃうのでしょうか?
もう二度と小中学生に戻れないので成人した男の歪んだ視点からになってしまうのですが、ちょっと年上の女の子にお尻を叩かれるなんて羨ましい…。こういう環境で鍛えられる(?)と思春期の好奇心旺盛な女の子に「おちんちん見たい」って頼まれても「いいよ」って見せてあげられる度量が身につきそうですね。
こんばんはです。
全裸で過ごす機会を数多くつくるというよりは、保護者と子どもの共有認識として、少なくとも中3ぐらいまでは恥ずかしがらないものだというものをつくるって感じかな(結果的には同じことなのですけど)。
姉の友達が来ていようがいまいが、反抗するともちろんお仕置きですよね。ただ、何もなしに「裸になりなさい」っていうことは無いと思うので、今回のコメントの場合は、何かしらいたずら等のお仕置きで、「お尻出しなさい!」みたいなのに抵抗して、さらにお尻が腫れちゃう・・・みたいな、そんな感じだと思います。
“成長記録”は私も前から考えていて、機会があったらまた取り上げるかもしれないですけど、たとえば、月一回、同じ場所で、全裸できおつけの姿勢で写真を撮っていくの(前後左右)。成長記録だから、もちろん裸だし、体に異常があるとすぐに分かるしね。でも一年で12枚(種類)というのは、ちょっと少ないような気もしますね。
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